project

2022.08.08
散策のすゝめ

長浜城歴史博物館で開催される「浅井長政450回忌特別展」

長浜城01

夏空の下、長浜城歴史博物館へ行ってきました。
目的は「浅井長浜450回忌 特別展」です。

浅井長政と菩提寺養源院 −浅井三代の興亡と江戸時代へ続く浅井氏の系譜−

長浜城02

長浜城天守閣の内部はこんな感じです。
歴史博物館の展示フロアーは2-3階ですね、さっそく行ってみましょう!


はじめに目に飛び込んできたのがこちら。

小谷城絵図

三田村忠政に宛てた浅井亮政の書状と、小谷城とその周辺一帯が描かれた大きな絵図。
早速にマニアックで恐縮ですがこれはとてもイイですね!!


浅井亮政とは長政のお祖父さん。つまりこの企画展タイトルにある「浅井三代」の初代です。その亮政が、南近江一帯を支配した「六角氏」との戦いに敗れたその時に、奮闘した三田村氏に感謝の気持ちを伝えたのがこの書状。
負けたけど全然あきらめていないという感じがしますし、次また挑戦するからその時も頼むぞという感じもします。


浅井氏の勃興とは、この地域の守護大名である「六角氏」と「京極氏」を抑え込んでこの地の支配者となることですがこれはその初期、戦に敗れていったん岐阜方面に逃げているんです。
なおかつ、三田村氏は正式な立場上は浅井氏と同じく京極氏の「家臣」つまり同僚です。しかしこれは「上に立つものが配下のものへ」出している書状で、横並びの仲間に 助かった!ありがとう! とLINEしている感じとはちょっと違います。浅井氏は代々仕えてきた京極氏が御家騒動で揺れる間に、その有力な家臣たちを従えて戦国大名として成り上がっていくのですが、この書状にはまさにその感じが漂ってます。


そしてその隣の小谷城の全体像。
浅井家の屋敷があった「清水谷」を挟む両尾根の上に築かれた曲輪群や、山裾の街道である「北國脇往還」沿道の城下町並など、長政までの三代にわたって築きあげて「戦国最強の山城」と言われた浅井氏拠点の充実ぶりが見てとれます。
近代まで水争いが続いた「餅井川」や、琵琶湖畔へ続く「尾上道」などなど、つぶさにみるほど興味深い!
マニアックで恐縮ですが(2回目)今回の特別展の方向性、とてもイイですね!!


2階の展示はこうした書状の数々を主役に構成されています。

展示フロア

浅井亮政、久政、長政がそれぞれの代の攻防の中で土豪や地侍や村人に対して、

「迅速に出兵してほしい」
「そちらからの要望は粗略にしない」
「懸命に働くように」
「船団を送ってほしい」


といったメッセージを発信する息づかいが漂います。
中でも天下布武を掲げた最強軍団の織田信長勢が小谷城の目と鼻の先まで進出したまさにその日付に、奮闘した家臣を激励する書状はまさに手に汗握るオーラを纏います。戦闘の生々しさを感じずにはいられないでしょう!!


書状

磯山城、佐和山城、長比城、箕浦、菅浦、など、文中に出てくる地名とその位置を確認できるこんな地図があるのも嬉しいですね。


MAP

織田信長との同盟関係を解除して、姉川の戦いや小谷城の攻防に向かっていく時期や、不運な運命に翻弄されながらその後の時代を生き抜いた浅井三姉妹の物語は多くの方に親しまれるところですが、今回の特別展はその前後の世界を丁寧に解説してくれていますので、ご興味のある方にはとてもお勧めします。


最上階から眺める景色

今回久しぶりにお城のてっぺんに上がりました。やはりこの景色は最高です!

湖面のさざなみの上を小舟が進む。その向こう、近江八幡の方には夏らしい入道雲が浮かんでいます。


北を向けば先ほどの絵図で眺めた小谷山。
その奥には湖北山岳信仰の中心であった己高山(こだかみやま)がそびえています。
数々の歴史の物語が現在まで地続きでそこかしこにある長浜のロケーションをあらためて感じました。
この夏は「浅井長浜450回忌 特別展」をきっかけに、浅井の山野の深い物語へ、どっぷり潜り込んでみてはいかがでしょうか!?


長浜城歴史博物館WEBサイトはこちら


sheep 中川さん
竹村 光雄 / 風景プランナー 湖北に住み着いて11年。長くいることで探究心が錆び付くどころか、芋づる式に広がる湖北の面白さに取り憑かれ、日夜フィールドを這う40歳。