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2018.07.24
暮らし案内

長浜のビール&ウィスキーブリュワリー

2018年6月下旬、旧市街南エリアにある長浜浪漫ビールを訪ねた。

長浜のビール&ウィスキーブリュワリー

すでに開店待ちの方々で賑わう。

まだ営業のはじまらない午前10時、
入り口ドアを開けると同時に、
ホールに充満する糖化したピートモルトの強い香りに驚かされた。
ここは醸造蔵なのだ。

ピートモルト

案内してくださったのは製造部長の奥村さん。

取材時に製造されていたのはウイスキー。
2階で粉砕された麦芽が入り口付近の大きなタンクに入り
お湯と混ざると糖化がはじまる。
ホール全体に広がる強い香りは
麦汁を仕込むこの行程ならではのものだそうだ。

上が発酵タンク、下が蒸留機

その後2階のタンクで3日間発酵させたもろみ(ウォッシュ)を
1階の蒸留機で2度蒸留し、
最も良い部分のみを抽出したものが透き通る原酒(ニューメイク)。
現在ここでは4種のニューメイクが製造されている。
これもボトルやハイボールでいただくことができるが本番はここから。
樽詰めして保管すること3年〜
熟成がすすむと色も香りも味わいも変化していよいよ完成をむかえる。

熟成させる環境や樽によっても味に変化があるという。これはバーボン樽
奥村

「うちのウイスキーづくりは’16年にはじまりました。
現在蔵で保管している当初の樽の熟成が進んでいまして、
順調にいけば来年にははじめての出荷ができるかと思います。」

奥村さんをはじめとする製造スタッフの皆さんは
ここで仕込みの作業をするかたわら、
別の場所にある熟成蔵での管理やテイスティングなど
仕上げに向けた大詰めの作業を進めつつ、
さらにははじめてお披露目されることになる
ウイスキーボトルやラベルデザインの試行錯誤など、
目下大忙しで走り回っているのだ。

ところで気になったのがビールのこと。
いったいいつどこで作っているのか伺ってみた。

奥村

「ビールもここで作ってるんですよ。
麦汁を作るまでの行程はビールもウイスキーも同じ機械を使います。
そこからが違っていまして、
煮沸して菌や雑味のもとを飛ばしたあと
ホップを加えて不純物を取り除いてから発酵させます。
ホールの2階に並んでいる発酵タンクのうち
おおむね西側半分にはビールが入っている状態です。」

ビールは発酵期間こそウイスキーより数日長いものの、
一部の熟成させる品種以外はフレッシュなうちに飲んでもらえるように
生産量を見極めて作業が進められるそうだ。

ビールの発酵タンク
奥村

「開業当初からの人気4種もレシピの更新を続けつつ、
’14年からの新定番IPAもとてもご好評を頂いてまして、
ほかにも季節限定としていろいろな種類を製造しているんですよ。」

ビール好きの取材班(タケムラ&ミカミ)は
深く頷きながら聴き入る。

若いスタッフが楽しそうに働く職場

決して広くはない蔵の中に機材やタンクが所狭しと並ぶ中
声を掛け合って走り回って、
我々ファンが喜ぶこれだけのラインナップを送り出し続けるのは
スタッフの皆さんのマンパワーとチームワークの賜物だ。

ミカミ

「スタッフのみなさん若い方が多いですよね?
このあたりのご出身の方が多いんですか?」

奥村

「そうですね、
レストランのアルバイトスタッフも含めると
全体で4〜50人のメンバーがいまして、
20代が多いと思います。
私が今年33歳で製造部では最年長です。
出身は実は山口県で、
同じ製造部の社員も伊豆や東京から来てたり、
みんなそれぞれなんですよ。」

ミカミ

「山口、伊豆、東京、、
まったく予想外なところばかり(驚)
でもなんだかすごく楽しそうですね。」

奥村さんがはじめて長浜に来たのは15年ほど前。
ご近所長浜バイオ大学の第1期生として入学された。

奥村

「受験に来たときにはまだ校舎も建設中でした。
中高生の頃から微生物の働きに関心がありまして
創設間もない大学で専門分野の研究をはじめたんですが、
自分には研究の道よりも現場が向いているのではと考えるようになり、、
ととことん考えて中退しました。」

穏やかな雰囲気ながら内面にとても強い芯を持つ奥村さん。
次の道を探す中、お友達のすすめで
ここ長浜浪漫ビールで働きはじめたといいます。

奥村

「ただ、そのときからビールへの関心が高かったわけではなくて
はじめはレストランスタッフとして頑張っていました。」

タケムラ

「つくる側に移られたのは何かきっかけがあったんですか?」

奥村

「じつは’05年に愛知で開催されていた愛・地球博なんです。
ビールが大人気だったドイツ館に行きたかったんですが
長蛇の列を見てこれは待ちきれないと。
それでたまたまベルギー館に入ったんですが
そこにもたくさんの種類のビールがあったんですね。
味わいもそれぞれまったく違っていてとても感動したんです。
 
それ以前にもたまに製造部門を手伝うということはあったんですが
見方ががらっと変わって自分はこれがしたいと思いました。
その後志願して担当に就かせてもらったんです。」

先輩町衆のプロジェクトを引き継いだ

タケムラ

「せっかくの話の腰を折ってしまうんですが
気になることいいでしょうか?
 
長浜浪漫ビールは黒壁と同じように
先輩町衆の方々が出資者となってできた蔵だと
教えてもらったことがあります。」

奥村

「はい、そうです。」

‘96年に開業された長浜浪漫ビールは、
地元の会社経営者たちが発起人となり、
賛同した町の多くの方々がそれに協力して誕生した。
店舗には築100年を超える船問屋の土蔵が活用されている。

舟の甲板に使用されていた〝舟板〟が使用されている湖畔の町らしい佇まい。右の建物がビアホール
ビアホールは築100年以上の船問屋の蔵、明治〜昭和期までは鉄道輸送網の一端も担っていた

地元でつくられた美味しいビールや美味しいソーセージが
食べられるビアホール・レストランとして
長浜観光に訪れる方にもお馴染みの人気スポットである。

タケムラ

「変な聞き方になってしまいますが、
そうした先輩世代によるじっくりと地域に働きかけるような
重厚なプロジェクトのイメージをとても良い意味で裏切るように、
奥村さんをはじめとして各地から集まってきた
若いスタッフの皆さんが主役になって
とても軽やかに現場に立たれているという印象を受けたんです。
 
会社を設立された当時とは
雰囲気自体もきっと随分違ってきていますよね?」

奥村

「そうですね。
設立当時の話は私も入った頃にお世話になった先輩方から
聞かせていただいているんですが、
社長の清井をはじめ、
初期メンバーは現場には一人もいないんです。」

清井社長と奥村さん(’17年8月撮影)
タケムラ&ミカミ

「一人もいない!?」

奥村

「もちろん株主の皆さんには継続してお世話になっております。
会社としては24期目となった今も、
年に一度ここで総会を開いて事業報告や計画の発表をさせていただいて会社を運営しているんですが、
前経営陣の
現場の若いスタッフを中心にした組織にしよう
という考えがあって
緩やかに世代交代がされたというところでしょうか。」

タケムラ

「さらっとお話しされますけどそれは容易くはないことですね。
ご判断をされた方々も
それを受けて現場に当たる皆さんも、
しっかり噛み合っているからこそのこのすごく良い雰囲気なんですね。
ビールの取材に来たつもりでしたけど、
会社経営のことがとても勉強になります。
 
長浜浪漫ビールはある意味では出来上がったコンテンツというか
すでによく知られている人気の蔵であるにもかかわらず、
新しいビールをリリースされたり
ウィスキー作りにも着手されたりと、
熱心なことが逆にどうしてなのかなって
実のところ少し不思議でもあったんです。」

奥村

「開業当時は第一次地ビールブームだったんです。
それはもう、
今では考えられないほどのペースで回っていたそうなんです。
約200席のビアホールが常に満席で、
今は6口あるビールの注ぎ口が
当時は倍の12口あってほとんどすべて流しっぱなしだったとか笑」

タケムラ&ミカミ

「すごすぎますね驚」

ビールの注ぎ口

世界中で盛り上がりを見せるクラフトビール

奥村

「そういうピークを過ぎて自ずと転換期が来たとも言えると思います。」

ミカミ

「今はクラフトビールがすごく人気ですよね。
長浜には浪漫ビールがあるってことがわたしたちには
すごく嬉しいなって思いますね!」

奥村

「ありがとうございます!
私たちのような少しだけ歴史のあるブリュワリーは
初期からの技術蓄積によって安定した品質をご提供できると思いますが、
決して安心はしていないんです。
新しいブリュワリーもたくさん誕生して
とても良い意味でどこも凌ぎを削っている状態です。
 
ビールの種類もすごく増えて
飲んでいただける方々にもこれだけ注目してもらえるのは
私たちにとってもすごくう嬉しい状況なんです。
 
滋賀県というと日本酒のイメージが強いんですが
ビールももっと盛り上げていけるようにと日々励んでいます。」

タケムラ&ミカミ

「お酒好きなわたしたちとしては
ビールも来年のウイスキーも楽しみですし、
同じ長浜に奥村さんたちのような働き方をされている方たちがいるっていうことがなんだかすごく嬉しいです。
 
ほんとにいいお話聞かせていただいてありがとうございます!
これからもひきつづきよろしくお願いします!」

奥村

「こちらこそよろしくお願いします!」

取材を終えたタケムラ&ミカミは、
来月のビアガーデンではどのビールを仕入れようかと、
テイスティングと称した舌鼓を打つのであった。
 
(おしまい。)
 
文:タケムラ